福岡の磐座


宗像大社辺津宮むなかたたいしゃへつみや
福岡県宗像市田島2331


■沖ノ島と並ぶ聖地となった高宮祭場

 三女神が祀られているのが宗像大社だ。 辺津(へつ)宮・中津(なかつ)宮・ 沖津(おきつ)宮よりなり、それぞれにイチキ シマヒメ(市杵島姫)、タギツヒメ(湍津姫)、タ ゴリヒメ(田心姫)を祀る。もともと在地の豪族 である胸肩(むなかた)一族が祀っていた神だという。
 スサノオが勝ち誇ったわけは、三女神を奉斎し てきた胸肩一族の存在と、その祭祀形態だったと 思える。とくに沖ノ島に鎮座する沖津宮の存在は 大きい。玄界灘のほぼ中央に位置し、全島が岩石 でできた、巨大な岩屋ともいえる島影は、海に浮 かぶ磐座そのものだ。縄文前期にまでさかのぼる 最大、かつ最重要とされる磐座祭祀遺跡が存在す ることで知られる。
(『磐座百選』より一部抜)





英彦山・玉屋神社ひこさん・たまやじんじゃ
福岡県田川郡添田町英彦山


■「日本三霊水」の霊水が湧き出る般若窟

 英彦山は、『地名辞書』には、エイヒコサンと ある。もともとは「日子山」とよばれ、やがて 「彦山」となり、江戸期に勅許をうけて「英」を 冠した。
 古くから信仰の山として崇拝されたが、いわゆ る式内社ではない。神仏分離までは、「英彦山三 所権現」と称し、霊仙寺という神宮寺が存在した。 福岡・大分の県境に位置し、標高1199メート ルながら、出羽三山・熊野三山と並ぶ修験道の一 大拠点として名を馳せた。
 九州修験の特色は「岩屋信仰」といわれるが、 英彦山の開山も岩屋に端を発する。「般若窟」と か「玉屋窟」とよばれる岩窟で、霊水が湧き出る 聖地としても知られる。歴史は古く、仏教が伝来 する以前の開山と伝わり、戦国期に書かれた「縁 起」によると、継体天皇25(531)年に、 北魏の僧である善正が入山し、般若窟にこもっ て修行したことが始まりとされている。
(『磐座百選』より一部抜粋)





石人山古墳せきじんざんこふん
福岡県八女郡広川町大字一條字人形原1435


■ヤマト王権に挑んだ磐井の矜恃 、武装石人

 継体天皇21(527年)年、古墳時代最大 の内乱とされる「磐井の乱」がおきた。筑紫君 磐井を盟主とする 九州の諸豪族がヤマト王権に挑んだ「独立戦争」といわれる。
 この乱は、王権の朝鮮出兵を拒否した磐井の 「反乱」とされてきたが、最近は、独立性を保っ てきた土着勢力と王権との間でおきた「覇権争 い」という説が有力視されている。結果、磐井が 敗れ、王権の直接支配が強化されることになる。
 王権に戦いをいどんだ磐井の最後は謎にみちて いる。『記・紀』では「磐井を斬殺した」とあり、 『筑後国風土記』逸文では、「ひとり豊前国の上膳(かみつけ) の県に逃れ、南の山の峻 (さかしき)嶺の曲に終りき」 と記されている。王権側では斬り殺したと記し、 風土記には、上膳の県に逃げて南の山のけわしい 山中で生涯を終えたと記されているのだ。
(『磐座百選』より一部抜粋)




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